定められた道を歩むのが使命であり、分不相応の現状維持や変身を夢見るて不安定になる

facebook記事や周囲の人の言動をみて1つの法則らしきものに気付いたので言語化(文書)にしました。

人の文書や言動をみて違和感を感じる時があります。
それは「今の仕事に不平不満を書かれる(言われる)方」や世の中のとって良いことであっても「私がやらねば誰がやる、私が止めてしまったらとんでもないことになる」などです。

私も含めて現状に不平不満を募らせるのは、自分はもっと出来る人でこの程度では人生を終わらせないの見方によっては現状に満足するよりバイタリティーのある生き方に思います。

そんな想いから明治維新を行った人物や人々の暮らしに圧倒的な進展に寄与した歴史に名の残る人物もいます。
違いは今を受け入れて更に向上の道を模索するどうかです。今を否定して向上だけを求めてもエレルギーバランスを崩してある種の違和感を発して賛同(共感共鳴)しにくい状況になります。

もう1つの私やらなければ誰がやると似た感じを受けます。私がやらねば組織が壊れ(止まって)彼らが路頭に迷ったり死んだりするとかこの活動は人類にとって重要なもので私が辞めたら誰がやるの思いで続けている方に出合いました。

心の底から止むに止まれぬ想いからでるものなら人は感化されて惹かれます。しかし理論、感情的な動きなら退かれます。

サラリーマンも似た思いの人がいて生きがいになったりしますがあなたが止めて(辞めて)も組織が崩壊したり致命的な事態は発生しません、才能ある人が去れば効率は下がりますがその人に依存しているグループは早かれ遅かれ崩壊の道を辿ります。

繰り返しになりますがその活動が使命から沸き上がものなら頭で「私がやらねば」とは思いませんし、そんな事は考えもしません。

不必要に変化を求めても自分を大きく見せようとあがいたり、過大な使命感を懐いて物事に取り組んでも周りからシックリ来ずに距離を置かれたり去られたりします。本人はエレルギーバランスが悪く心身的に不調になりやすいように思います。

ある意味では人生は大局的みてばほぼ決まっていて何をやっても大きくは変わりません。木の枝についた葉っぱが自分の意志で枝から離れようとしたり、枯れ落ちる瞬間に枝にしがみついたりしません。

時期が来ればパッと咲いて散りぎわが良いことから桜は日本人に人気があります。人も川の流れに従って生きるが如く自然体がいいです。
必要な変化はベストなタイミングでやってきます、今行っている事柄は力まずに自然体で行ない流れに従った結果を受け入れて行けばいいように思います。